2025年3〜4月現在、『人間を考える「旅に学ぶ」』と題する5回シリーズが、NHKカルチャーラジオで放送されています。
第3回の講師は、ノンフィクションライター 近藤雄生さんです。
旅学ゼミでの勝手気ままなトークも3回目。近藤さんの講演をもとに、今回も元・青年海外協力隊の五郎さんと感想を語り合いました。
放送概要
ノンフィクションライターの近藤雄生さんは2003年から5年以上にわたり、オーストラリアや東ティモール、インドネシア、チベット、中国、イスタンブールなど世界をまわりながら、旅と定住を繰り返す生活を送りました。各地でルポルタージュを寄稿しながら続けた旅で、多くの外国人と直接出会い、彼らの寛容さに助けられ、心打たれてきたといいます。他者の文化や立場を積極的に知り、信頼し合うことの大切さについて語ります。
(番組サイトより引用)
人間を考える「旅に学ぶ」」(3)
ノンフィクションライター 近藤雄生さん

NHKカルチャーラジオ(日曜カルチャー)
ラジオ第2 毎週日曜 午後8時
初回放送日:2025年3月16日
聴き逃し配信:2025年5月11日 午後9:00配信終了
https://www.nhk.jp/p/rs/GPV3P86GMP/episode/re/ZN57QQ1XL2/
『人間を考える「旅に学ぶ」』を語る会(3)
五郎:会社員。元・青年海外協力隊員。
halkof:当サイト運営者。ライター/旅学研究家。

今回の「旅に学ぶ」は、タイトルのイメージどおりの内容でした。ご自身の旅の始まりから終わりまでがひととおり語られましたね。

「寛容さが失われそうな時代に」という副題があり、旅をとおして視野が広がっていく原体験がお話の要でしたね。前提にあるのは、文化や立場が異なる他者への許容度が狭まっている現状への危機感です。やはり直接会い、話をする経験は、意識を変える。これは『地球の歩き方』代表の新井さんが語った「行動変容」と重なります。近藤さんと新井さんは同様にイランで、報道ではわからなかった人々のあたたかさに触れ、目を開かれていますよね。

寛容さは今、強く伝える意味があるでしょう。今回のお話は、旅立ち→冒険→気づき→帰還という起承転結をもった、いわば勇者の物語のような構成であり、旅をしない人々の心にも届きやすい。最後にはメッセージのまとめもあり、旅に興味がない人が聞いてもわかりやすいライフストーリーでした。旅人が「語りべ」として自らの体験を伝える意義を感じました。

旅での見聞を故郷に伝える。旅をしない人々も、身近な体験者から直接話を聞くことで学びを得る。まさに「世間師」1の役割ですね。

他者への寛容がないのは想像力が足りないからだ、とよく言われますが、「旅人の語りべ」の話を聞くことは、想像力を養う効果があるのではないでしょうか。たとえ旅に興味がなくても、自分に関係ないとは思わせない。他人の話でも感じるものがあるでしょう。

そう考えると、旅人が帰郷後に体験をアウトプットするって大事ですね。

あとは今回、各地での体験やそこから生まれる信頼のエピソードに、特に異論はないので付け加えることはありません。

ええ、私も、旅人なら誰もが通る心の道、あの感覚、と共感しておりましたが、それだけだとトークが終わってしまうので(笑)。

最後に3つのキーワードが提示されましたから、ちょっと見ていきましょう!
まず、「脱システム」。つまり、自分の常識や文化から外へ出ること。

第1回の新井さんの表現でいうと、「不便益」とつながります。一般的には「コンフォートゾーンを出る」とも言いますね。これは旅を旅たらしめる筆頭要素でしょう。

2つ目は「時間の有限性」。人はいつか死ぬということ。旅にも終わりがあるから感動できる。

終わりを意識したほうがしっかり今が見える。時間とお金がいくらでもあると案外どこも行かないのに、会社が3連休だといそいそと出かけちゃったりね(笑)。

永遠に旅することは必ずしも幸福ではない、と。実際、飽きて感動できなくなったときに旅の終わりを悟った、というパターンはよく聞きます。私も旅はだいたい1、2ヶ月程度なんですけど、限られた時間だからこそ一日一日が驚くほど濃密になるんですよね。

それで旅を終えると、帰国後にどう暮らすかという問題もありますけど。生きている実感を求めて旅をしていた人は、農業を始めたりね。

3つ目は「偶然性」。予測できないことに身をまかせること。こちらも旅を定義する必須ポイントですね。

旅好きにとってはあたりまえの結論かもしれないけれど、旅を知らない人たちがこうした語りを旅人から直接聞くことに意味があると思います。

熱い実感がこもっていますものね。

ところで、私はちょっと違う視点も挙げたいんです。まず、近藤さんの経験が「夫婦の旅」であったということ。これは大きいと思います。近藤さんはカウチサーフィン4を使ったり、いきなり訪ねた村で泊めてもらったり、各地で親切にされて、世界に悪い人は少ないと知った、とのことでした。たしかに旅では多くの親切を受け、人間愛を感じます。けれども、これが女性一人の旅だったら、できる経験が変わってくると思うんです。カウチサーフィンだって安全とはかぎりませんから。実際少なからぬ女性が不快な目に遭っていますよ。

ああ、女性の一人旅となると、そうかもしれませんね。

お話では、カウチサーフィンのホストによる「1%の悪人を疑う社会より、99%の人を信じる社会のほうが幸せなんじゃないか」といった意見が紹介されました。もっともではありつつも、やはり女性の場合、信じられる人の割合は99%より下がると思います。知らない家に女性一人で泊まるのは勧められませんし。逆に男性一人では見られない世界もあるでしょう。その点、夫婦だとスムーズなんじゃないでしょうか。ですから、夫婦そろって旅ができたとはなんと恵まれているんだろう! というのがまっさきに浮かんだ感想でした。

カップルや子連れだと、旅先の土地に馴染みやすいメリットはありますよね。

他にもいろいろ特権的条件がそろっているように感じられて、正直言って、羨ましいです。

まあ、旅に生きる、という選択ができる時点で、幸運ですよね。

一方で、傍目には恵まれていながらも、「このままでは自分は社会に受けいれてもらえないような気がした」という思いが旅の動機であったというのは少し意外でもあり、旅人としては納得でもあり。内面に葛藤を抱えて旅立つ人は多いですから。これも旅人とは何かを説明する要素のひとつだと思います。

旅に押し出される、プッシュ要因があったわけですね。家庭の事情や政治的事情など、旅の背景にはさまざまなプッシュ要因があります。プル要因、つまり「あれが見たい」といった誘引だけの場合、ある意味「旅人」っぽくはないかもしれませんね。

誤解を恐れずにいえば私は、旅人研究とはマイノリティ論の一種だと思っているんですよ。プル要因で旅立っても、旅をくりかえすうちに社会に居場所がなくなることもありますし。

そうした旅と仕事の両立という命題において今回は、旅をしながらライターになりたいという人にとっても、参考になる講演でした。どうやって仕事を獲得したか、年収や生活費がいくらだったか、といったことも教えてくださいましたね。

やっぱり最初は出版社への持ち込みとかもされていたんですね。

私もそういう努力をしなくてはと勉強になりました。
- 世間師:日本の村々ではかつて、広い世間を旅して学んだことを地域に伝え、人々の相談にのるような人物を「世間師」と呼んだという。 ↩︎
- 角幡唯介(1976-)作家・探検家。「脱システム」という概念で冒険を捉えている。 ↩︎
- 『青年は荒野をめざす』五木寛之 著、文藝春秋、1967年 ↩︎
- カウチサーフィン(Couch Surfing):カウチ(ソファ)を転々とする、という意味で、世界を旅する人に自宅での宿泊を無料で提供する国際交流のサービス。https://about.couchsurfing.com/about/about-us/ ↩︎
レビューシート
五郎:
タイトルから期待される通りの正統派の講演で、ライフヒストリーとして聴く事も出来るストーリーになっていました。
自己紹介からの流れで「旅に生きる」そんな旅人として旅立った経緯から、旅の暮らし、旅で出会ったこと、経験したこと、感じたこと、思ったこと、考えたこと、気付き、等について、淡々とした流れで語られます。それに続いて「帰る事」、旅の時間、旅の終わりと「帰還」についても語られました。「旅の終わり」や「動機」に対する「静機」は、意外と難しいテーマで、「旅立ち」等に比べて語られる機会が少ないと思います。
講演者の様に、プッシュ要因によって旅に出た人々は、共通した陰を帯びるのかも知れません。では、プル要因で旅に出た人は単純に幸福かというと、旅に限らずシリアスレジャーを突き詰めると、苦行の様になってくるので、いつしか「旅の呪い」に取り憑かれるのでしょう。
最後に語られた、寛容さや、他者を知って理解しようとする事、信頼する事など、旅に限定されないメッセージが、最も伝えたかった事だったのだと思いますが、「旅」との親和性が低い人にも伝わる、静かな共感を呼ぶ講演だったと思います。
旅人が語る意義、旅人に学ぶ意義、そのことを再認識できる講演でした。そこには「旅人」と「非旅人」という二分法も、「旅」と「旅ではない日常」との区別も必要なく、シームレスにつながるのだと思います。
日本の、自分の、日常の、常識の世界から脱して、越境してゆく事で、外の世界が地続きになる、旅の経験の様に。他者の経験を疑似体験や追体験し、自分自身の実体験の様に取込んでゆく。他者への想像力を必要とする作業ではありますが、それは可能だと考えます。
halkof:
「外国で何か起きたときでも、その国の人の顔が浮かんだりするのは、旅の経験が大きい」「会った人の顔を思うと、政治の印象とは違う」「直接出会ったことが財産」というお話がありました。
やはり、旅がもたらす最大の効果は、他者との出会いがもたらす「寛容さ」なのだと思います。私が旅学研究に手を出したのも、日本人の海外渡航率が下がるにつれ国内の保守化が強まり、異文化への心ない排斥などが目立つようになったことへの憂慮が一因でした。
旅をすることは、マイノリティとなる経験です。地位も肩書もなく、言葉も文化も不慣れな存在として放り出されたときに、各地で受ける寛容。自分が一度その立場になれば、おのずと自国でも他者へのまなざしが広がります。
また、スイスの亡命チベット人や、タイの残留日本兵、カウチサーフィンのホストなど、日常では接点のない人々の境遇や考えを知ることも旅ならではであり、そうした体験の要素が詰まった講演でした。
ところで、今回は五郎さんの反応がちょっと想定外でした。「語り方」に感動しているのです。これは『深夜特急』(沢木耕太郎 著)が読者に与えた影響と似ていると思いました。長旅に出れば、同じような経験をして、同じような心理をたどる人は多い。けれどもそれを言語化する作家の文才が、旅の未経験者に興奮を追体験させ、経験者には「あの感覚」が文章化された小説として味あわせる。ストーリー性と共感がSNS時代の鍵といわれていますが、あらためて「物語り」の持つ力を感じました。
旅学ゼミ、今後も不定期開催です!
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