『ノマドランド』これは私の、あるいはあなたの物語かもしれない

『ノマドランド』これは私の、あるいはあなたの物語かもしれない 旅シネマ

 

こちらのお席では、おすすめのロードムービーや旅に役立つ映像作品を挙げ、店主が本音でレビューします。

 

引用:サーチライト・ピクチャーズ『ノマドランド』予告編

監督・製作・脚色・編集:クロエ・ジャオ
原作:「ノマド 漂流する高齢労働者たち」(ジェシカ・ブルーダー著/ 春秋社刊)
主演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、他
2020年製作/108分/アメリカ

2021年アカデミー賞作品賞
2021年アカデミー賞監督賞 
2021年アカデミー賞主演女優賞 

※軽いネタバレを含みますので、ご注意ください。

「あちら側」へのまなざし


「豊かな青春、みじめな老後」――
長旅をした経験のある者なら、どこかで聞いたことがあるかもしれない。この言葉にどきんとする旅人は、見るべき映画だ。

たとえば20代くらいでバックパッカーでもして、旅の魅力にはまり、定職に就かず、その後も季節労働をしては旅をくり返す。若いうちはいいが、いつまでこれを続けられるだろうか。このまま齢を取ったらどうなるのだろうか――。旅は素晴らしい。が、その末路を冒頭の言葉は示唆している。

放浪者たちを待ち受けているのは本当のところ、みじめな老後、なのだろうか? 答えは映画を見て考えさせられる。

主人公のファーン(F.マクドーマンド)は、季節労働で食べつなぎながら車上生活を続けている60代の女性だ。最愛の夫を亡くし、勤め先の破綻によって家も職も失っている。ファーンが出会う車上生活者たちはほとんどが実在の人物本人であり、半ドキュメンタリーのように撮影されたことで本作は話題となった。登場する旅人たちは、いわば現代アメリカのノマドだという。

多くの人は、この映画を「彼ら」の物語として見るのだろう。「ふうん、ノマドね。自由そうに見えるけど、なかなか大変なんだね。まあ自分にはできないけど、ちょっと憧れるな、そういう生き方」と、遠いあちら側を覗くような気持ちで映画館の椅子にもたれ、終われば快適な部屋に帰ってほっとするのかもしれない。

私はこれを自分の物語だと感じた。未来の自分、あるいはもう一人の自分。実際、映画を見るずっと以前から、今この瞬間でさえ、もう家を飛び出して古いバンでも買って暮らそうか、と考えている。

現実のノマドは、SNSで流行する素敵なバンライフのような気楽さとばかりは言えないだろうことなど容易に想像できる。それでもなお、私の頭の片隅にはいつも「あちら側」への衝動がある。そして、ならざるを得ない怖れがある。安定した未来など常に無縁だ。一歩の違いで、明日にでもそうするしか選択肢がなくなるかもしれない。

私は絶壁の尾根をふらふらと這うように映画館を出た。

 

放浪に生きる人々

主人公ファーンは、失職や夫の死を機に何もかも捨てて旅暮らしをしている、ように見える。

しかし実は、小さい頃から「エキセントリック」だったと言われている。おそらく倒産というきっかけがなかったとしても、最初から彼女の中には芽があったのだ。旅人の芽が。

ごく平凡な、絵に描いたように幸せな家庭生活は、あるいは彼女にはいたたまれない。柔らかいベッドがありながらそこから抜け出してしまう。迎えてくれる家族はいながらも飛び出してしまう。路上へ、荒野へ、草原へ。朝陽に向かう風の中へ、足を冷やすせせらぎの中へ。愛する人の記憶の時へ、出会っては別れ、また出会う永遠の環の中へ。自分が最も裸の自分でいられる場所へ。

余命数ヶ月というある老練のノマドが、病院の中で最期を過ごすなんてまっぴら、と言う。かつて旅をして浸った美しい大自然、その自然の一部となったような感覚について、あのとき死んでもいいと思った、と語る。だから私は旅を続ける、と。そう、旅で死ねるなら本望、この映画はそのように願う人々に寄り添う。

人生は量より質だ。何年生きたかではなく、どれほど感動したか。心から、生きている実感を得たか。

人は彼らを最貧困層と呼ぶかもしれない。たしかに、貧困が大きな避けがたい問題としてあることは事実だ。車上生活は厳しい。経済的困窮、老化、病気、孤独、不便、不安、過去、皆さまざまな苦難を抱えている。政府は頼れず、はみ出た者同士で助け合うしかない。

しかしはみ出し方にもいろいろある。都会にとどまったり、教会や施設に身を寄せる方法もあっただろう。

彼らは、旅を選んだ。なぜなら、それが最も自分らしくいられると思ったからではないか。旅は誇りだ。痛いほどのつらさと引き換えにした、自分が自分であり、大地の一部であるための証だ。

やはり私には、自分の物語だったと思うし、ある種の旅人たちにとっても同様ではないかと思う。加えるならば、もしかしたら「彼ら」の物語として見ていた人もある日突然、望む望まないに関わらず、自分の現実になるかもしれないということだ。

 

演技を超えて

なお、旅好きだけではなく映画ファンにとっても、マクドーマンドの演技は必見だろう。演技というより顔だ。自ら望んで制作自体に深く関わったという彼女の顔が、すべてを表している。同様に、現実のノマドである共演者たちの存在が灯火として、作品に深い陰影とあたたかみをもたらしている。

『ノマドランド』は、ここ10年で最も特別な旅シネマだった。

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フランシス・マクドーマンド主演の映画では、1996年作の「ファーゴ」も印象に残っています。真っ白な雪の世界に、若干トラウマになりそうな鮮烈な光景……。監督はコーエン兄弟、こちらもアカデミー賞受賞作でした。「ノマドランド」で女優としても人間としても好きになったフランシス・マクドーマンド、昔の演技もまた見たくなりました。


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